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市報きよせ 連載コラム「清瀬と結核」
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公開日|2025/10/25
第2話 清瀬病院 開院前夜(令和4年5月1日号)
清瀬と結核の関わりを語るとき、最初に登場するのは東京府立清瀬病院です。しかしその設置は、村の人々にすんなりと受け入れられたわけではありませんでした。
当時有効な治療法のない不治の病として恐れられていた結核の患者が集まる病院ができることに、村では反対の声が上がったのです。
東京府が社会事業の一つとして「清瀬村上清戸芝山清瀬駅附近」に療養所を設置しようとしたことに対し、清瀬村は「本村ノ将来ニ於ケル発展上誠ニ遺憾ニ堪ヘサル次第」とし、設置の影響について特に慎重な考慮を切望するとして、昭和3年8月位置変更の意見書提出を村会で決めます。
この意見書に加え、憂慮した村民が陳述書を提出したこともあってか、病院設置位置は西多摩郡霞村(現在の青梅市)付近に変更されますが、変更先住民の反対にあい再び清瀬の予定地に戻ってきます。翌昭和4年3月、村会は再び位置変更に関する意見書提出を決定します。
二度にわたる意見書提出にもかかわらず、結局、結核療養所の設置位置は当初の予定どおり清瀬に確定します。こうして、現在の中央公園から看護大学校あたりの11,000坪の敷地に100床の病院建物ができ、昭和6年10月20日、東京府立清瀬病院は開院の日を迎えたのでした。
写真:昭和4年の村会会議録 当該議案の頁(左)