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市報きよせ 連載コラム「清瀬と結核」
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公開日|2025/10/25
第3話 清瀬病院の開院と拡張、そして病院街の形成へ(令和4年6月1日号)
昭和6年(1931)10月20日に開院した東京府立清瀬病院は、清瀬の病院街で最初にできた結核専門病院です。開院当初の敷地は志木街道寄りの11,000坪、ベッド数は100床で、正門は志木街道に面したところにありました。開院後も隣接地の取得と病棟増築が進められ、清瀬病院は昭和7年に200床、12年に400床、13年800床、18年には1,100床を擁する大病院になっていきました。
当時、結核のまん延が背景にあり、結核患者を収容する施設の需要は大きいものでした。清瀬病院の拡張も、周囲に広がる雑木林を拓いてつぎつぎに療養所や病院が建てられていったのも、時代の要請によるものだったのです。
清瀬病院に続いてベトレヘムの園、府立静和園、信愛会秋津保養農園、救世軍清瀬療養園、傷痍軍人東京療養所、上宮教会清瀬療園、日本鋼管清瀬浴風院、清瀬保養園(いずれも開設時の名称)、結核予防会結核研究所、と次々に結核関連施設が建てられ病院街が形成されたのは昭和10年代のことです。
清瀬病院は開院時、貧困で「療養ノ途ナキ者」を公費で収容する病院でしたが、昭和13年には有料での患者の受け入れを始めます。
「結核と向き合うには『大気・栄養・安静』」という時代にあって、清瀬病院では昭和10年に外科療法を導入、17年には胸郭成形術と呼ばれる外科手術を本格的に始めています。
写真:開院当初の清瀬病院本館。
志木街道に面した正門近くに本館、
その南側に病棟が連なっていた。