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市報きよせ 連載コラム「清瀬と結核」
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公開日|2025/10/25
第12話 清瀬保養園(令和5年8月1日号)
清瀬保養園は、沖電気、日本鋼管、日本鋳造という3つの会社の出資によって昭和18年に開かれた結核療養所です。もともとは、五反田で開業していた馬杉亮氏が結核患者のためのサナトリウムとして昭和14年に開設した、同じ名前の林間療養所でした。開院時の病床数約200床のうち133床は東京市の結核療養臨時代用施設としての特約で、一般向けの病床は70床弱という規模でした。3社による療養所となってからは、企業の結核療養所として機能しました。
清瀬保養園は、昭和36年に3社から独立して、医療法人財団となり、翌37年には創立1周年の記念式典を、清瀬町農事センターで行っています。
昭和41年には病棟のひとつを内科病棟とし、全214床のうち内科50床、結核病床は6棟に164床としました。
その後、昭和45年に名称を竹丘病院と改め、地域住民の健康管理を視野に、翌46年、外来棟を増設。49年春には新しい病棟が竣工し、結核85床、一般79床、計164床の病院ができあがりました。
結核病床は、結核患者の減少を受けて、昭和52年に廃止され、さらに昭和61年には一般病院から特例許可老人病院へと移行。平成10年には併設の老人保健施設が開かれました。のちの介護老人保健施設たけおかです。
昭和10年代に病院街の一角に誕生した結核療養所が、一般病院になり、老人医療に軸足を移していった病院の沿革は、時代のニーズに応え続けてきた清瀬の病院街の姿を映していると言えるかもしれません。
写真:緑陰通りから見た 清瀬保養園 正門(昭和36年頃か)
(医療法人財団 保養会 提供)